宇野千代さんがどんなに恋愛や結婚を繰り返しても、「子供」について語られることは少ないです。
そのため「実は子供がいたの?」と気になる人も多いはず。
この記事では、宇野千代さんの子供や結婚、代表作について調査し、まとめていきます。
宇野千代をモデルとした朝ドラが発表され話題に!
2026年度NHKの後期の朝ドラに、宇野千代さんがモデルの「ブラッサム」と発表され話題になっています。
宇野千代に子供はいるの?
4回の結婚をしていても、子供を授かることはありませんでした。
その理由ははっきりとは語られていませんが、当時の女性作家としての生き方や、恋愛中心の人生を選んでいたことが大きいと考えられます。
宇野千代さんは、好きな人と一緒にいる時間をとても大切にしていたようです。

でも、その関係がうまくいかなくなったときには、無理に続けようとはせず、自分の人生を優先して決断をしていたのです。
また、作家としての活動がとても忙しく、自分の作品にすべてをかけていた時期が長かったことも影響していそうです。
子供を産み育てることではなく、「作品を通じて人の心に残る言葉を残したい」と思っていたのかもしれませんね。
では、作品の中では「子供」や「母性」が描かれていたのでしょうか?
宇野千代の小説に子どもは出てくる?
宇野千代は、自分の子どもを持ちませんでしたが、小説の中で「母親の気持ち」や「子どもへの想い」が描かれることはあります。
実体験として子育てをしたわけではないけれど、たくさんの恋愛や別れ、そして人との関わりの中で感じたやさしさやぬくもりが、小説にもにじみ出ています。
次は、宇野千代さんの「結婚」について、どんな人と、どんなふうに結婚したのかを見ていきましょう!
宇野千代は何回結婚したの?
ここでは、その4回の結婚がどんなものだったのか、相手は誰だったのかを順番に調査していきます。
1回目と2回目の結婚はどんな人と?
宇野千代さんが最初に結婚したのは、なんと13歳のときでした。
お相手は、お母さんの姉の息子、つまり「いとこ」にあたる藤村亮一(ふじむらりょういち)さんです。
これは恋愛ではなく、お父さんにすすめられて結婚したものでした。
でも、心から好きだったわけではなかったので、たった10日で実家に戻ってしまったんです。
そして数年後、今度はその亮一さんの弟・藤村忠(ただし)さんと再婚しました。
この2回目の結婚も、すぐにうまくいかなくなってしまいます。
その後、千代さんは作家を目指して、東京で創作活動にのめり込むようになります。
その間に、藤村忠さんとの生活はすれちがいが増えていき、自然と別々の道を歩むことになりました。



どちらの結婚も、愛し合って結ばれたというよりも、「環境」や「タイミング」によって決まった感じだったんですね。
次は、運命のように出会った3人目の夫、作家・尾崎士郎との関係について見ていきます。
3回目の尾崎士郎との結婚は?
3人目の夫は、作家の尾崎士郎(おざきしろう)さんです。
宇野千代さんが東京の出版社に原稿を持ち込んだとき、編集部で尾崎士郎さんを紹介されたのが出会いのきっかけでした。
出会ったその日から、ふたりは急速にひかれ合って、すぐに一緒に暮らし始めます。
このとき、まだ正式には結婚していなかったので、いわゆる「事実婚」のような形でした。
それでもふたりの関係はとても情熱的で、一緒にいることが自然なほど、おたがいを求め合っていたようです。
でもその幸せは長くは続きませんでした。
尾崎士郎が別の女性と親しくなったことをきっかけに、関係はこわれてしまいます。
千代さんは深く傷つき、放心状態になるほどだったそうです。
このときの経験が、のちに有名な小説『色ざんげ』へとつながっていきます。



『色ざんげ』には、愛する人への思いと裏切られた悲しみが、そのまま詰まっているんですね。
恋にすべてをかけた千代さんらしい、強くて、でもどこか切ないエピソードです。
次は、4人目の夫である北原武夫との結婚生活と、ふたりで始めた雑誌づくりについて見ていきます。
最後の結婚相手は北原武夫!
宇野千代さんが4人目に結婚した相手は、10歳年下の作家・北原武夫(きたはらたけお)さんです。
出会ったとき、千代さんはすでに40代。年の差なんて気にせず、自分の気持ちに正直に動いたそうです。
ふたりは、恋人としてだけでなく「仕事仲間」としてもとても仲がよく、いっしょに日本で初めてのファッション雑誌「スタイル」を立ち上げました。
この雑誌は大人気になりましたが、経営のトラブルで借金をかかえてしまいます。
その借金を返すために、千代さんは着物のデザインを始めて、北原武夫さんはひたすら小説を書き続けました。
ふたりで力を合わせてがんばったけれど、やがて北原さんにとも別れることに。
1964年、ふたりは離婚することになりました。
千代さんはこのとき、大きな声を出して泣いたり、責めたりはしなかったそうです。
ただ静かに離婚届にサインして、「声を立てずに泣いた」と語っています。



この4回目の結婚は、千代さんにとっていちばん長く、いちばん深い関係だったかもしれません。
次は、結婚以外にもあった宇野千代さんの恋についても見ていきます。
宇野千代は結婚以外にどんな恋をしてきたの?
結婚は4回ですが、宇野千代さんの恋愛はそれだけではありません。
作家として、そしてひとりの女性として、本気で恋をして、本気で傷ついてきた人生ともいえるでしょう。
ここでは、結婚には至らなかったけれど、小説や人生に大きな影響を与えた東郷青児との関係を見ていきます。
東郷青児とはどんな感じだったの?
宇野千代さんが恋をした相手のひとりに、有名な画家の東郷青児(とうごうせいじ)がいます。
ふたりが出会ったのは、千代さんがすでに作家として知られるようになった頃。
東郷さんは、恋人と心中をはかって生きのこったばかりで、心に深いキズを負っていました。
そんな彼に、千代さんはなぜか強くひかれていきます。
東郷さんの部屋には、心中未遂のときについた血の跡が残っていたそうです。
その状況でさえ、千代さんは「一緒にいたい」と思ってしまったそうです。
でもこの恋も、長くは続きませんでした。
やがて東郷さんは、心中をはかった元の恋人のもとへ戻ってしまいます。
千代さんはまたひとつ、大きな失恋を経験しました。



でもこの恋の中で東郷さんから聞いた話が、のちに代表作『色ざんげ』として世に出ることになります。
次は、その『色ざんげ』について、もう少し詳しく見ていきましょう。
代表作『色ざんげ』とは?
『色ざんげ(いろざんげ)』は、宇野千代さんの代表作のひとつです。
この小説には、千代さんがこれまでに経験してきた恋の切なさや、どうにもできなかった気持ちがたくさんつまっています。
とくに、画家・東郷青児との恋や、尾崎士郎との別れなど、
実際の出来事から感じたやりきれない思いが、そのまま物語の中に生きています。
『色ざんげ』に出てくるのは、自分の気持ちを押さえきれず、愛する人にぶつかってしまう女性たち。
後悔しても、もう戻れない。
それでも、どうしてもその人を忘れられない。
そんな気持ちが、静かに、でも深く書かれています。



読んだあとに、ちょっと胸が苦しくなるけれど、自分の気持ちに正直に生きていいんだって、そう思わせてくれる物語ですよ。
また、『おはん』という作品では、夫婦のすれちがいや心の葛藤がテーマになっていて、「もし自分に子どもがいたらどうなっていたんだろう」と思わせるような切ない場面がたくさんあります。
ほかにも、自分の思いどおりにならない愛情や、誰かを守りたい気持ちが、まるで母親のように描かれているところもあります。
ここで、宇野千代さんの代表作と、その中でどんな気持ちが描かれているのかを、表にまとめてみました。
作品タイトル | 描かれている気持ち | ポイント |
---|---|---|
おはん | ゆるせないけど忘れられない愛 | 心がすれちがう夫婦の話 |
色ざんげ | 後悔と愛のあいだでゆれる気持ち | 自分の恋愛体験を元にした作品 |
生きて行く私 | 弱さも含めて前向きに生きる姿 | 年を重ねても迷いながら生きる |
まとめ
今回の記事では、宇野千代さんの子供や結婚、代表作について調査しました。
まとめると、
・宇野千代には子どもはいなかった
・結婚は4回している
・小説には子どもや母の気持ちも描かれている
・画家の東郷青児や作家の尾崎士郎などとの恋愛も有名
・失敗や別れを経験しても、前向きに生きる強さがあった
朝ドラでどんなふうに宇野千代さんが描かれるのか、今からとても楽しみです!